毎日新聞のコラム

前回の更新からだいぶ時間がたってしまった。反省。

 

さて、毎日新聞のコラム、「余録」に文化遺産に関する記事が掲載されていた。見過ごせないのでここに記録しておく。見過ごせない、というよりも、日本の大手メディアの見解として興味深い。11月に予定している文化遺産についての発表にも使おうと思うので、メモがわりに。

 

まずは全文引用。

 

 世界三大仏教遺跡といえば、カンボジアのアンコール、インドネシアのボロブドゥール、ミャンマーのバガンである。うち二つは20年以上前に世界遺産に登録されているが、バガンだけは「幻の世界遺産」のままだ▲11〜13世紀に栄えたバガン王国の都であり、イラワジ川中流域に2500以上の寺院やパゴダ(仏塔=ぶっとう)が点在する壮大な遺跡群だ。にもかかわらず登録から漏れてきたのはもっぱら政治的な事情による▲ミャンマーは1960年代以降、半世紀にわたって軍が国を支配する特異な体制が続いた。この間、傷んだ遺跡はセメントやしっくいで急ごしらえの修復がなされ、遺跡群の一角にはリゾートホテルや高さ60メートルの展望タワーが建設された▲軍事政権は96年にバガンを世界遺産に登録申請したが国連教育科学文化機関(ユネスコ)は応じなかった。文化財としての価値を損なうずさんな修復に加え、ホテルやタワーが歴史的景観を台無しにしていたからだ。閉鎖的な軍事政権との間ではまともな協議もできなかった▲ところが3年前に民政に移行して状況は一変する。観光開発をもくろむ政府はユネスコとの協力姿勢に転じ、先月、同国初の世界遺産が誕生した。紀元前2世紀から約1000年存在したピュー王国の遺跡だ。バガンの修復や保全でもユネスコの助言を受けることになった▲内戦で荒廃したアンコール遺跡の修復には上智大や早稲田大など日本の協力が大きかった。今では世界中から年間200万人以上の観光客が訪れる。歴史遺産は人類共通の財産だ。「幻」を現実にするため、優れた日本の修復技術がまた役立つだろう。

毎日新聞 2014年07月20日 第14版

 

以下、メモ

1.事実誤認と言えなくもないものが一つ。アンコールが世界三大仏教遺跡となっているが、どうカウントすべきか。

 アンコール、が「アンコール遺跡群」のことを指すのであれば、世界遺産リストのものでもあっても、遺跡群全体のことであっても、明らかに仏教の要素を含まないモニュメントのほうが数が多い。たとえば、観光ガイドブックに載っているような主要な遺跡40程度でも、その半数以上は非大乗仏教遺跡(ラフなカウント、あとで、『地球のあるきかた』などのガイドブックで確認し実数をあげておくこと)。

 また、14世紀以降に少なからぬヒンドゥー寺院、大乗仏教寺院は上座仏教の寺院になるが、その多くはそのまま現代まで寺院ないしは信仰の場として機能している。この事実をもってアンコール=三大仏教遺跡と呼ぶのならば、そもそもアンコールは「遺跡」ではなく、現役の「寺院」である。

 アンコール、が「アンコール・ワット(世界最大のビシュヌ派寺院)」のことを指すのであっても事情は同じ。

 ただし、日本におけるアンコールの一般的な受け取られかた(ツーリズムの対象としての認識)として「三大仏教遺跡」のひとつ、と表記したのであれば、それはそれで興味深い。

 

2.バガンについて。

 まず、もういちど本文を引用。「軍事政権は96年にバガンを世界遺産に登録申請したが国連教育科学文化機関(ユネスコ)は応じなかった。文化財としての価値を損なうずさんな修復に加え、ホテルやタワーが歴史的景観を台無しにしていたからだ。閉鎖的な軍事政権との間ではまともな協議もできなかった

 軍事政権下の修復に対する評価として、「文化財としての価値を損なうずさんな修復」であったというのは、ユネスコそして日本をはじめとする世界遺産条約批准国にとっての標準的なものであろう。

 軍事政権にたいする国際政治上の評価はどうであれ、これはビルマ人の精神的支柱たる寺院、仏蹟にたいする価値観を完全に無視した、いわば「グローバル=スタンダード」による一方的な評価。

 そもそも、東南アジアにある多くの「モニュメント」はツーリズム的な意味での遺跡=もはや建立当初の機能を果たさず、「よそもの」だけが観光資源として利用するようなもの、ではない。ほとんどのモニュメントは、「現役」である。

 上座仏教徒が圧倒的大多数であるビルマ人社会で、軍事政権下で国際社会から孤立しながらも、「自分たちのお寺を自分たちで綺麗にする」ことは、はたして「ずさん」と切り捨てられるような事であるのか。

 たとえそれがユネスコ的な意味での「文化遺産の正当性」を損なう修復であっても、「自分たちの手持ちのリソースで、自分たちの精神的支柱にたいして最大限の敬意を表してきた」とう点が評価がなぜ出来ないのか。

 価値観の多様性を認めることは、ユネスコも謳っている(宣言について原文をあたること)。